プロフィールその2お金の知識編

前のプロフィールからの続きです。

お金の知識の必要性を実感

結婚して、パートで働き初めた頃。

車の運転も出来ず、心配性な両親だったので乗る許可がもらえなかった自転車にやっと乗れるようになり、自転車で職場に向かっていました。

パートは楽しくて、自分の働きに対する対価としてひと様からお金をもらえる。

それが何よりもうれしかったです。

1990年当時は預金金利が7%もあった時代です。

郵便局に100万円預けていたら、10年で200万円になったのは驚きました。

パートのお金を全て貯金して利息で運用、念願のマイホームを建てる希望ができました。

家を建てるための知識がないまま手をつけて大やけど

家を建てるのは人生の三大支出の一つと言われています。

ただ、当時の私はお金は溜まったけれど不動産の知識がなく、手痛い失敗をしてしまいました。

当時は子供が小学校に入り、ミニバスを初めていたので、転校を避けるために校区内で土地探しをはじめました。

3年ほど探していると、やっと良い土地が先に見つかり、長期間探していて焦った私は建物の計画がないままに土地の代金を先に支払ってしまったのです。

「土地さえあれば、建物はこだわりは無いし、簡単に建つだろう」

こんな風にのん気に考えていました。

払う必要のない利息を払うはめに…

土地を買ってからモデルハウスを見に行き、気に入った家が見つかったので、その場でほぼ即決。

しかし、土地にすでにお金を使っていたので、頭金もなく、融資を受けなければいけません。

困って銀行に相談に行くと、銀行の副支店長さんに「まったく勉強せずに家を買うなんて!後で払えなくなくなりますよ」と、大変厳しく叱られました。

当時は預金金利も高かったので、当然払う利息も高かったです。

建物が建って、住宅ローンに切り替わるまでのつなぎ融資で、何十万円も利息を支払ってしまいました。

他にも、土地の契約をした翌日に不動産屋さんがチャイムを鳴らし、仲介手数料50万円請求してきたのですが、「そんなものか」と思い支払ってしまった事も。

後になって分かったのですが、払わなくて良いものをたくさん払ってしまっていた事実に愕然としました。

無意識にお金を失っていました…

無知ほど怖いものはないと思い、この出来事から知識の必要性、そしてお金への興味が湧いてきました。

免許を取って新たなステージへ

心配していた三男も何事もなく大きくなってくれて、長男はバスケで高松商業高校に行く事に。

電車通学をする必要があったので、私は朝の5時起き。

駅まで送るために運転免許も取りました。

子育ても少し手が離れてきたので、そこから私の仕事人生が大きく変わり始めます。

48歳で、当時ブームになっていた保険の乗り合い代理店に入社。

スーパーの中の保険の相談コーナーへの勤務でした。

当時扱っていた保険は、本社から送られてきた仕上がった商品を説明するような仕事内容で、ソフトの操作とお客様の年齢さえ分かれば、誰でも保険の設計が出来るので簡単な仕事だと聞かされました。

保険の知識はあまり無かったけど、接客経験はあったので「どうにかなるだろう」と思っていましたが、ここで大きな挫折を経験したのです。

保険の本質が分からなかった

ソフトの操作も学び、研修も受けて店頭に立ちましたが、接客をする度に自分に足りないものが見えてきました。

出来上がった保険商品の表面的な説明は出来たのですが、バックボーンとなるような保険や社会保障の知識などが無かったため、本質的な理解が出来ておらず、お客様の質問に答えられない場面が多かったのです。

しどろもどろになりながら、なんとか応えていましたが、これからも保険の販売をするなら、もっと知識が必要だと痛感しました。

このままだとねずみ色の人生に

保険にしてもそうですが、私には圧倒的に知識が足りませんでした。

若い時に勉強していない。

本も読んでいない。

このまま歳を重ねると、不安も消えず、お金にも振り回される。

自分の人生を色で塗ると、不安だらけのねずみ色の人生になると思いました。

どうやったら変われるのかいつも悩んでいました。

そんな時に、長男から「とにかく凄い人がおる」と原田隆志先生の名前を聞かされたのです。

48歳の転換期

原田隆志先生は、人材教育のスペシャリストで、『一流の達成力』、『目標達成ノート』などの著作も多数、日本ハムファイーターズの大谷選手も原田メソッドを取り入れている事で有名な方です。

原田先生の著書『大人が変わる生活指導』

どうにか知識を見つけたいと思った私は、大阪の原田教育研究所自立型人間養成講座を受講しました。

半年間の研修を受けて、まずは学習習慣をつける事にしました。

いざ勉強を始めてみると、本を読んで新たな知識が増えていく事が楽しかったですね。

この学習習慣がついた事が、私の人生の転換期だったと思います。

48歳のときでした。

ファイナンシャルプランナーに

学習習慣がついた事で、様々な知識を身につける事ができました。

勉強をしていく中で、私が一番興味をもったのがお金です。

世の中のお金持ちって何が違うんだろう?

お金の知識を身につけたいと思い、ファイナンシャルプランナー(以下FP)の試験を受ける事にしました。

勉強のかいあり、なんとか CFPファイナンシャルプランナーの資格と取得しました。

ここからは、FPとしての活動も始める事が出来ましたし、試験に合格した事は私の中で自信につながりました。

1000人と話して分かった事

FPの資格を取り、保険の仕事を続ける上で1000人近い方とお話をさせていただきました。

この仕事は、お客様のプライベートな部分を聞いて、潜在的な思いを読み取っていくお仕事です。

多くの方の話を聞くうちに、自分の家は特別な環境だと思っていましたが、案外そうではないんだなという事も分かってきました。

本当に1000人いれば1000通りの人生があります。

収入が高くても貯金が出来ない人もいれば、低くてもコツコツと貯金が出来る人もいました。

そして、子育てに悩む方はとても多く、ときには人生相談になる事も。

また、金融商品の面でも保険は興味深いと思いました。

知識があるかないかで大きく違い、1000万円近く損した人もいれば、お宝保険と言って預金金利のよい時代に加入して支払った保険料の2.5倍ぐらいの価値の保険をもっている人もいます。

そして、ヒヤリングをしていくうちに問題に感じたのは、自分の保険がよく分かっていないままに払い続けている方がとても多かった事。

これをどうにかしたいという思いが、私の中に生まれました。

なにはともあれ、この1000人の方と、人生とお金という生きていく上で大切なものを共有できた時間は私の大きな糧になっています。

相続問題

ここで、実家の問題に話を戻します。

私にも相続問題に直面する時期がきました。

父が亡くなった後、私たち4人兄妹は疎遠になったままで、わずかな相続も解決できていませんでした。

長男の兄は実家に一人暮らし。

定職についていなかったので年金が少なく、痴ほうにでもなったら施設にも入れません。

また、4人兄妹の誰かが痴ほうにでもなっていれば、実家の処分は難しい。

近所から迷惑がられるボロ屋敷になるだろうと。

その事が気がかりで、60歳で香川県から兄妹のいる福岡に引っ越し。

単身FPとして仕事を始めました。

父があれほど苦しい思いで守りぬいた実家は、老後苦しい生活をしている兄妹みんなに何の役にも立たないことになってしまいます。

これを解決しようと、兄妹で集まって話をする事にしました。

兄妹間の会話は増えてきましたが、結局実家の今後については意見がまとまらないまま。

相続問題についてはまだ抱えたままになってしまっています。

保険の整理

また、幸い実家では問題にはなりませんでしたが、保険に対する疑問も日々大きくなっていきました。

不動産もそうですが、保険も痴ほうとは切り離せないものです。

歳をとれば理解力、記憶力ともに衰えます。

お金は人生の最後まで必要ですが、死亡保険は死んでからおりる保険。

では、認知症になったら終身保険は解約できるのでしょうか?

契約した保険の担当者やお店が無くなってしまい、窓口が無く相談の仕方も分からない状況も見てきました。

今の30代の方はネットで何でも調べるでしょうが、今の70代の方はどうするのでしょう。

難しいと言われる保険の事を誰が教えてくれるんだろうか?

勉強する気力が続くのだろうか?

お金の苦労がしみついている私にはどうしてもそこが解決できず、金融商品を売ることを断念し、香川に戻る事にしました。

運用より運動

15年間の情熱をかけてきた仕事を手放して、香川に戻ってきました。

一番怖かったのが、仕事を失った自分がどうなるのか?ということ。

お金に苦しんでいた暗かった頃に逆戻りするのではないかと、不安感が襲ってきました。

毎日家にいると心が滅入ってくるので、長男が週に一度やっている運動教室についていってみる事にしました。

長男の運動教室

そこで、長い間ひっかかっていた介護の疑問が少し解けだしたのです。

65歳以上の高齢者も個人差があります。

運動を習慣化している方もいれば、まったく運動しない方もいる。

その差は何だろうと思うようになりました。

これは私の仮説ですが、意識の差ではないかなと思います。

運動が習慣になっていなくても、意識が変われば運動を継続できるかもしれない。

老後に対して備えておく

確かにお金の運用は大切です。

だけど、それだけでは自分を守れません。

私が80歳で介護状態になったときに、私のお金を誰が管理してくれるのか。

施設に入ったらどうなるんでしょう?

10年で約1000万円が必要と言われている介護のお金。

私が80歳なら長男は55歳、嫁も55歳。

一番下の孫は、大学に入った頃でしょうか?

息子世代は、年金が厳しくなることは当然予測しないといけませんし、出来れば息子たちが老後資金を貯める時期に足をひっぱりたくない。

運動すること、そしてお金の知識があれば、私にも役にたつことがあるかもしれない。

そこで、私は金融商品を扱わないFPの第一歩を踏み出すことにしました。

知識さえあれば不安は減らすことはできる。

運用も大事、だけど運動はもっと大切だとわかってきました。

人生の前半でお金の痛みを知り、その痛みのおかげでお金の知識が少しづつ身についてきました。

とはいっても、完璧に全部見えているわけではないですし、まだまだ疑問だらけです。

その疑問を解くために、多くの皆さんと運動の場で学ぶことができれば嬉しい限りです。

目標・夢・二つのテーマ

上の図は、お恥ずかしいですが、2009年原田教育研究所で作成した目標設定用紙です。色をつけて見やすくしてみました。なんとなく人の形に見えるように作ったようです。15年経って、目標の資格 CFPファイナンシャルプランナーと・事務所・伝えるための手段(HP)が形になってきました。当時の夢の目標、テーマ「母親塾」は、お金の学習塾に変更予定です。      もう一つのテーマは運動することで お金の不安を小さくすることのお手伝いを目標にして、 活動していきます。

    長いプロフィールになりました。最後まで読んでいただき有難うございます。